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空撮の迫力はさすがですね! 湖北の地形が手に取るようにわかります。ですが、有名な姉川の合戦がわかっているようで不明な点が多いとうのは驚きでした。これからも戦国時代を素敵な画像でご紹介ください!
ありがとうございます。同時代の史料は限られていて、信長公記と、姉川の合戦の当日織田信長が足利義昭側近の細川藤孝に宛てて出した書状の写くらいのようです(佐藤圭氏論文)。そこには大まかな動きしか書いてないので、かなり限られますね。ちなみに姉川の戦いという合戦名は、徳川方の呼称で、織田・浅井方は野村合戦、朝倉方は三田村合戦と呼んだようです。野村・三田村は合戦地の地名です。
空から見た実況中継みたいで、ドラマチックですね💕戦闘シーンないのに、臨場感あり!指揮官になったつもりになる😆
ありがとうございます。そういっていただけるととても嬉しいです。姉川の戦いに限らず、調べれば調べるほど江戸時代の軍記物の脚色が多い事がわかり、それらをそぎ落としていくと、どんどん書けることが減っていき、こんな感じになってしまいました。軍の動きも時間がなくて、エイヤーって出してますので、話半分でご覧ください。
スケールでかい動画ですね。カット数も多く、臨場感ハンバない。これで千田先生の解説と合戦図屏風の画像が入ると、NHKの番組になってしまう!最後の夕景はエモイですね!余裕を感じてしまう。
コメントありがとうございます! とても嬉しいです。千田先生は無理です(笑)。最後のカットは山本山城から小谷城を撮影した時、ふと後ろを振り返ったら夕日と竹生島が目に入ったので、撮影しました。本当はこういうカットだけ集めて動画を作りたいんですが、過去の経験からなかなか見ていただけなくて。いっそのことエンディングで使ってしまおうと思い、入れてみました。余裕はありませんよ(笑)。近々小谷城単体の動画撮影に行ってきます。またよろしければご覧くださいね!
姉川の戦いから小谷落城まで、両連合軍の陣容等を主に空撮だけでこんなにも解りやすく解説されたのにはビックリしました(@_@)!それと最後の竹生島が美しかったです!ありがとうございました(^^ゞ。
アップ早々めっちゃ嬉しいコメントありがとうございます! 頑張って作った甲斐があります! 試行錯誤の連続でようやくといった感じです。実は城には登ってないんです。今度は登った動画をアップしようと思います。またよろしくお願いいたします。
歴史は面白いですね!凄く解りやすい編集ですね❗ありがとうございます🙇姉川は合戦時、血で真っ赤に染まったと聞いてます!合戦の凄さを物語ってますね☝
ありがとうございます。そう言っていただけると、大変嬉しいです。これからもよろしくお願いします。つくづく今の時代に生きていられることに感謝の気持ちがわいてきますね。
素晴らしいです‼️
嬉しいコメントをいただき、ありがとうございます。引き続き投稿していきますので、これからもよろしくお願いします!
素晴らしい映像に胸熱のっぺりした紙に概念に過ぎない国境を引いた勢力図は静的な江戸幕藩体制成立以前には意味が無いので実写が見られるのは嬉しい
ご覧いただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
IFですが、もし、長政が信長についてたら、歴史はどうなったのかと、いつも、考える。朝倉は滅びるが、長政は義弟として、信長の片腕として歴史をまた変えたのかなと。ロマンだなぁ〜
本当にそう思いますね。やる気を見せなかった朝倉義景にあそこまで義理立てする必要は無かったように思います。信長についていたら全く違う展開があったでしょうね。
岐阜城の位置、合ってますか?
大体合わせたつもりですが・・・。
大変失礼致しました。私の勘違いでした。これからも素晴らしい動画楽しみにしています。
@@1i12 良かったです。こちらこそこれからもよろしくお願いします。
ハイエナと満足してる*が戦ったら勝敗は戦う前から誰でもわかる。
コメントありがとうございます。*はやはり満足していたのですかね? 確かに北の*は特にいつも戦意が感じられませんよね? あのまま滅亡してしまうくらいなら、どこかで意地を見せても良かった気がしますね。
浅井さん、もったいないなぁ、タヌキ 家康の上に、行けたチャンスだったのに
もし、朝倉につかずに信長についていたとしたら、どうなっていたんでしょうかね?でもきっとどこかで信念を曲げずにぶつかっていたような気もしませんか?家康のようなしたたかさが長政にあったのか、考えてみるだけでも楽しいですね。
三代将軍家光のおじいちゃん(祖父)は、浅井長政と家康だから、血縁は近いね
空撮の迫力はさすがですね! 湖北の地形が手に取るようにわかります。ですが、有名な姉川の合戦がわかっているようで不明な点が多いとうのは驚きでした。これからも戦国時代を素敵な画像でご紹介ください!
ありがとうございます。同時代の史料は限られていて、信長公記と、姉川の合戦の当日織田信長が足利義昭側近の細川藤孝に宛てて出した書状の写くらいのようです(佐藤圭氏論文)。そこには大まかな動きしか書いてないので、かなり限られますね。ちなみに姉川の戦いという合戦名は、徳川方の呼称で、織田・浅井方は野村合戦、朝倉方は三田村合戦と呼んだようです。野村・三田村は合戦地の地名です。
空から見た実況中継みたいで、ドラマチックですね💕戦闘シーンないのに、臨場感あり!指揮官になったつもりになる😆
ありがとうございます。そういっていただけるととても嬉しいです。姉川の戦いに限らず、調べれば調べるほど江戸時代の軍記物の脚色が多い事がわかり、それらをそぎ落としていくと、どんどん書けることが減っていき、こんな感じになってしまいました。軍の動きも時間がなくて、エイヤーって出してますので、話半分でご覧ください。
スケールでかい動画ですね。カット数も多く、臨場感ハンバない。これで千田先生の解説と合戦図屏風の画像が入ると、NHKの番組になってしまう!最後の夕景はエモイですね!余裕を感じてしまう。
コメントありがとうございます! とても嬉しいです。千田先生は無理です(笑)。最後のカットは山本山城から小谷城を撮影した時、ふと後ろを振り返ったら夕日と竹生島が目に入ったので、撮影しました。本当はこういうカットだけ集めて動画を作りたいんですが、過去の経験からなかなか見ていただけなくて。いっそのことエンディングで使ってしまおうと思い、入れてみました。余裕はありませんよ(笑)。近々小谷城単体の動画撮影に行ってきます。またよろしければご覧くださいね!
姉川の戦いから小谷落城まで、両連合軍の陣容等を主に空撮だけでこんなにも解りやすく解説されたのにはビックリしました(@_@)!
それと最後の竹生島が美しかったです!ありがとうございました(^^ゞ。
アップ早々めっちゃ嬉しいコメントありがとうございます! 頑張って作った甲斐があります! 試行錯誤の連続でようやくといった感じです。実は城には登ってないんです。今度は登った動画をアップしようと思います。またよろしくお願いいたします。
歴史は面白いですね!
凄く解りやすい編集ですね❗
ありがとうございます🙇
姉川は合戦時、血で真っ赤に染まったと聞いてます!
合戦の凄さを物語ってますね☝
ありがとうございます。そう言っていただけると、大変嬉しいです。これからもよろしくお願いします。つくづく今の時代に生きていられることに感謝の気持ちがわいてきますね。
素晴らしいです‼️
嬉しいコメントをいただき、ありがとうございます。引き続き投稿していきますので、これからもよろしくお願いします!
素晴らしい映像に胸熱
のっぺりした紙に概念に過ぎない
国境を引いた勢力図は静的な江戸幕藩体制成立以前には意味が無いので
実写が見られるのは嬉しい
ご覧いただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
IFですが、もし、長政が信長についてたら、歴史はどうなったのかと、いつも、考える。
朝倉は滅びるが、長政は義弟として、信長の片腕として歴史をまた変えたのかなと。
ロマンだなぁ〜
本当にそう思いますね。やる気を見せなかった朝倉義景にあそこまで義理立てする必要は無かったように思います。信長についていたら全く違う展開があったでしょうね。
岐阜城の位置、合ってますか?
大体合わせたつもりですが・・・。
大変失礼致しました。私の勘違いでした。これからも素晴らしい動画楽しみにしています。
@@1i12 良かったです。こちらこそこれからもよろしくお願いします。
ハイエナと満足してる*が戦ったら勝敗は戦う前から誰でもわかる。
コメントありがとうございます。*はやはり満足していたのですかね? 確かに北の*は特にいつも戦意が感じられませんよね? あのまま滅亡してしまうくらいなら、どこかで意地を見せても良かった気がしますね。
浅井さん、もったいないなぁ、タヌキ 家康の上に、行けたチャンスだったのに
もし、朝倉につかずに信長についていたとしたら、どうなっていたんでしょうかね?でもきっとどこかで信念を曲げずにぶつかっていたような気もしませんか?家康のようなしたたかさが長政にあったのか、考えてみるだけでも楽しいですね。
三代将軍家光のおじいちゃん(祖父)は、浅井長政と家康だから、血縁は近いね